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うさぎと暮らす野鳥好き

▽サッカーなどでもそうだが、現地に行くとゲームの状況がよくわからなくなる。
▽レフリーが笛を吹いている、何かファールがあったことはわかるが、誰が何をしたのかはよくわからない。オフサイドだ、副審が旗を上げている。本当にそうか……よくわからない。
▽サッカーの場合、とりあえず、フィールドの全部は見えるのだ。何かあったかはわからないが、何かがあったことはわかる。だいたい。
▽GPはどこで観戦していてもコースの一部しか見えない。クラッチローとリンスがバトルしてるのはわかる。2、3週毎に前を走ったり後ろを走ったりしている。
▽抜く瞬間は運がなければ見えない。
▽ぼんやり聞こえる場内スピーカーがロッシが転倒って叫んでる気がする。集団が帰ってくる。その中にロッシはいない。あれは聞き間違いではなかった。
▽こういうことは、放送を見ているときには起こらない。
▽我々はなぜ金を払って現地に、わざわざわからなくなりに行くのだろうか。
▽逆に、映像を見ていたときに得られていた、わかったという感覚は一体何がわかっていたのか。
▽目まぐるしく入れ替わる順位がリアルタイムで得られることがわかることで、現地で得られるゴムの焦げる匂いや、身体の芯に響くガチガチ鳴るようなエンジン音やエキゾーストノートを体験することはわかることではないのか。
▽わかった、わからないという基準そのものを考え直したい。設定し直したい。積極的に。
▽とかなんとか、美しくS字カーブを走り抜けていくオートバイを思い返しながら考えている。