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うさぎと暮らす野鳥好き

nasu00012012-02-05

▽せせせはニンジン、固形飼料、パセリをもらった。
三線の練習から帰るバス。もうあたりは暗く、私の座った席からは前の車のテールランプがゆれつつ遠ざかるのがみえる。バスの中でゆられながら、子供の頃、なんであんなに夜眠るのが怖かったのかを考えた。というより、そんなことを突如思い出した。眠らずに、どうやってこの時間を引き延ばそうか。限界まで耐え、力つき、睡眠を迎える。
▽当時はわけもなく怖い、と思っていたが、それは、今から考えると「わけ」がないはずがなかった。自分の意識がなくなる。これは死と変わらない現象だった。死はこどもの頃ずっと私につきまとった。体温はしばしば40度を越え、熱による幻覚のなかで何度となく「これで終わりだ」と感じた。夜はまた「これで終わり」の別の形だった。
▽死を意識しない生物に睡眠はいらないだろう。なぜなら睡眠は死の予行演習なのだから。死に慣れるための毎日の練習、それが睡眠だ。
▽練習を繰り返し(この練習は強制だ)、いつしか私は、眠ることがあまり怖くなくなった。だが、本質的な忌避感はまだ心の奥底に存在し続けている。それを感じている。
▽そうして、私たちはこの練習を2万回繰り返して死ぬ。運が良ければ(悪ければ)3万回だ。楽しい一日を過ごした後、安らかにベッドで横になるように、死を迎えられるのだろうか。今はまだわからない。
▽後ろの客が降車ボタンを押す。バスは停留所に到着し、ボタンを押したであろう客に続いて私も降りる。バスのテールランプに照らされたその客の紙バッグに「La mort」と書いてあったように見えたのはきっと目の錯覚だろう。
▽せせせにニンジン、パセリを与える。ケージの大掃除。