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うさぎと暮らす野鳥好き

nasu00012014-05-07

▽せせせにニンジン、固形飼料を与える。
▽うす晴れ。至るところでシジュウカラが鳴いている。
▽やること列記。@髪を切る。@三脚。本棚整理。@靴を洗う。
▽カヤマユウゾウを歌いながらゆっくりと自転車を漕ぐ、白いカーディガンの老人。
▽森が特徴的な形で薄緑に盛り上がっている。遠目で栗の花かな、と思ったらやっぱりそうだった。町のところどころであの特徴のある匂いがしている。
▽カヤマユウゾウっていっても一曲しか知らないけど。
▽映画館の雰囲気というものがあった。いや今でもあるが、今は、開始のブザーが鳴ったり、ビロードのような幕が左右に開いて行ったり、地元のローカルなCMが低音をこれでもかというぐらい強調されて流れていたり、カメリアだったり、ダイヤモンドは永遠の輝きデビアスだったり、CMが終わって予告編になるとスクリーンサイズに合わせて幕がさらに開いたり、フィルムの繋ぎ目を知らせる黒い印が画面に現れたり、同時上映のみたくもない映画をなんとなくみたり、途中からみて一周した途中で出たり、フィルムが融けて画面がまっしろになって、もう一回初めからやったり、そういうことはあまりないのではないか。
▽あの左右に開く幕のことをなんというのだろうか。緞帳は上下に開くやつ。
▽よくわからないがただの幕か。ただの幕の種類としてバック幕とか中幕とかいろいろある。
▽となりの男が豚のように鼻をならしている。目を閉じていれば本物か偽物かわからないだろうというような完成度で鼻をならしている。その体型も豚のような男は車内に豚のような叫び声を響かせ、あたかもこの列車が家畜運搬車でもあるかのような空気を充満させている。そしてそれは間違ってはいない。豚が運搬車で運ばれていく。豚があくびをすると周囲にドブのような悪臭が広がる。気味の悪い雑音と悪臭に耐えて運搬されている。
▽たづ子先生のような、あるいは三里塚の農民のような、そういう強い執着というものが、自分の中に存在するのだろうか。それは土地に対するものでなくてもいいのだけれど。世代は関係ないのかも知れないが、生まれてからずっと満たされた環境にあってハングリーさみたいなものはそもそもなく、また仏教的なものかどうかこれもよくわからないが、欲というものをあらわにすることそのものを忌避する文化の中で育った。欲と執着。あるいは愛。それが同じものなのか、違う物なのか、自分にはよくわからない。
▽土地と流動化。東京に生まれ育つと土地への執着ということはよくわからなくなる。東京は好きだが、「立ち退いて下さい」と言われれば、ああそうですかとドコへでも流れてゆける、そういう気がするし、そこに身が裂かれるような深い哀しみ、あるいは強い憤怒などは生まれないと思う。そういう心を持つ者に対する小さな憧憬がある。
▽今日も若干人口密度が薄いような。
▽せせせはニンジン、固形飼料をもらった。日常業務。