βθ

うさぎと暮らす野鳥好き

nasu00012005-12-16

1003
うさぎにニンジン、ブロッコリーの茎、キャベツを与える。なんだかうさ食がマンネリ傾向だな。マニエリスムじゃないだけましか? 横文字では同じ綴りだが。

1224
自動筆記を続ける。精子の先体反応を確認したダン・ジーンは同じく生物学の團勝磨の奥さんで、勝磨は音楽家の團伊久磨の伯父さんだ。満州調査のため国際連盟から派遣されたリットン調査団を案内したということが主因でのちに暗殺される(血盟団事件)三井の会頭團琢磨は伊久磨の祖父だ。そういえばダン・ジーンは喘息でなくなっている。
満洲といえば、うちの母親が生まれたところだ。新京、今でいう長春らしい。時に昭和15年桑原甲子雄木村伊兵衛なんかと撮影に行った年だ。桑原の写真はその後『満洲昭和十五年』として晶文社から出版される。写真のおもしろさとしてはいまひとつ。同じ装丁の『東京昭和十一年』のほうがはるかにおもしろい。もっとも母に見せればなんというかはわからないけれど。母の父親、つまり私の祖父は侵入してきたロシア……ソ連か、ソ連軍に引っ張られて、シベリアに抑留された。
満州ソ連……中国とロシアを分ける黒竜江、ロシア語で言えばアムール川は流氷の母として知られる。大量の真水が流れ込み、塩分濃度があがらぬままアムール河口付近で氷結した氷はオホーツクを満たし、おおむね2月頃北海道東岸に接岸する。そのころサロマ湖も当然厚い氷が張っていて、その湖面でパラグライダーをしたことがある。スノーモービルに引いてもらうのだ。一面、白い世界で、数十メートル上がっても不思議と高さの感覚がない。

2218
自動筆記の続き
私が一時期通った小学校の近くに日劇っていう丸いというか、寸胴の円柱状の建物があって、戦前、あるスターがきたときにその周りを七周半行列ができた、とかいう伝説は李香蘭だったか、崔承喜だったかうろ覚えだけれど、まあ〈そういう〉時代だったんだろう。いろんな意味で。桑原甲子雄の写真でみる崔承喜は露出の多い衣装を着て脚をあげて踊っていたり、あっけらかんと笑ったりしているが、その後北朝鮮で消息を絶つことを考えたりしながら、片方ではその後の人生がそこそこうまくいった李香蘭のことも考えたり。あのあたりの歴史のスペクタクルさはフィクションを軽く超えてしまっている。川島芳子なんて今いたらギャグ……というのは失礼だが、存在自体が許されないような気がする。
劇団四季のミュージカル『李香蘭』はだいたい十年ぐらい前に札幌でみた。四季にはその頃立て続けに三本ほど見に行った。『李香蘭』、『キャッツ』、そして三浦哲郎の小説をもとにした『ユタと不思議ななかまたち』。三浦哲郎は高校の頃に「忍ぶ川」を読んで以来いまだにずっと好きな作家であり続けている。今年、仕事で初めて八戸を訪れ、その空気を堪能した。

2015
せしーは玄米、白菜、大根の葉、人参を食べた。