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うさぎと暮らす野鳥好き

nasu00012013-12-10

▽せせせにニンジン、大根の葉を与える。
▽雨のち曇り。ひさしぶりの雨。
▽最低気温(室内)17.1度。
▽現実の世論とネットの世論との乖離という現象。「現実」という意味もよく考えるとよくわからん。すくなくとも「現実」というのは「新聞の調査」ではない。「新聞の調査」だって「現実」から乖離している。ひとつはメディアからくるバイアス。固定電話は若者が持っていないし、ネットには老人が繋がっていない。その他の理由。むしろその他の理由を考える。
▽nanoとヘッドフォンを事務所に忘れてきた。
▽せせせにニンジン、大根の葉を与える。日常業務。
宮本常一『絵巻物に見る日本庶民生活誌』(中公新書)。図版が載ってるんだが、小さく荒く、ぜんぜんわからん。絵を見て「なるほど」と思いたいのに思えないのはわりと致命的。
■『菊と刀』。三章の前半。日本はタテマエ的には士農工商!とかいってカスト制度かもしれんが、カストといって最初にイメージされるインド的にがっちがちのそれではない。ヒエラルキーとカストをえらい強調して重要視しているが、日本の身分制度は実質ゆるゆるだから。それがなぜかと言えば、日本はカスト制度ではなく家制度だから。身分ではなく「家」を守るのだ。「家」というのは血族という意味では多分なく、そこらへんにいる「同じ釜の飯」を食べている「同じ屋根の下」の構成員ぐらいの意味なんじゃないだろうか。それを守れるなら、血とか身分とかは二の次だ。実際、ベネディクトも書いている通り、日本は先祖崇拝!とかいっても「4代前のじいさんはもう名前もわからない」ぐらいのテキトー先祖崇拝なので、血を守るとかそういうのはそもそも念頭にない。子がなければどこからでも誰でも養子をとって家だけ存続すればそれでいいというルール。大名家ですら、ほとんど「血」は子孫に伝えられていない。そんなところに厳密なカストが成立するわけがない。タテマエだよ、タテマエ。
 文章化されたルールと実態との間隙。あるいはルールのルーズな運用。伝統。タテマエとホンネ。だから文字化された情報だけを追おうとすると間違ってしまう。アメリカの公民権運動のように過激にラディカルに粘り強くやらなければ伝統を変えることなど不可能だ。そしてそんな執着は日本人の大多数に存在していない。執着は欲で悪だという、仏教的思想が悪い方向に作用しているのかもしれない。それとも日本人が忘れやすいのは、仏教とは関係がないのか……。