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うさぎと暮らす野鳥好き

nasu00012006-11-03

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うさぎにニンジン、レタス、ブロッコリーの茎を与える。日常業務は奥さんが。

1200-1700
近くにある市営の動物園に歩いて行ってみる。途中の「かねまん」で湯船の栓のチェーンを購入。かねまんには「牧場の少女カトリ」のマグカップが新品として売られていた。奥さんが「買う?」と聞いた。うーん、ポリアンナだったら買ったかもなあ。とにかくカトリにはぜんぜん思い入れがない。動物園まではちょうど1時間ぐらいかかった。
動物舍にはまあまあ及第点のところもあるのだが、小動物舎のあたりはとにかくひどい。なんというか動物園にはやっぱり存在の苦悩があって、そこに関わっている人はそういうことを考えざるをえないわけで、そのよってたつ論理はいろいろ進化してきているというか進化せざるを得なかった。ズーストックだの、行動展示だの。そういうのはその中で得られたひとつの答えでもあるわけで、そういう考えにともなって動物舎の環境も徐々に改善されていっている。つまり現代では動物園はそうとうデリケートな場所になっているのだ。ここはむとんちゃくにもそういう動物園の歴史をまったく知らないんじゃないか、という雰囲気を醸し出している場所だった。
アナグマやキバタンはもう監禁性の精神病にかかっていた。アナグマは同じところをせわしくぐるぐるぐるぐるぐるぐる回っていて、キバタンのところには「羽根をむしるのでカラーをしています。むち打ちじゃないですよ」みたいなハリガミがしてあった。なぜキバタンがそういう行動を取っているのかにはまったく思いがいたらないようだ。
私は動物園の存在自体にぜんぜん反対ではないけれど、動物を飼っていればその動物の幸せを考えるのはごく普通なことだと思う。そういう気持ちをこの動物園からはちっとも感じられなかった。やつらを監禁しているのだ、ということにもっと自覚的にならなければ。見ていて胸が痛くなった。不整脈の影響ではなく。沖縄語でいえば、ちむぐりさ。
精神の安定がどうにも保てないので「動物園の評価をしているヨーロッパのNGOに告発するぞ」とか奥さんに言いつのりながら歩いた。

1954
ギアツが死んだ。アサヒコムには「19世紀のインドネシア・バリを研究した著書『ヌガラ』などで、王や王宮を中心に儀礼を演劇的に行うことが国家の本質だとする「劇場国家」という概念を提唱、社会科学に大きな影響を与えた」と書いてあるが、微妙に間違っているような……。

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せっつんは葛、タンポポ、ハルノノゲシ、そしてミントを食べた。