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うさぎと暮らす野鳥好き

▽竹橋の2回目。

▽御大が存命なら毎日来ることになったんだろうけど。

▽まあ、雑感。

▽『来たるべき』映像。必要以上にきれいに直してある。データーは元の本をスキャンして喉の部分をリタッチ+外周を3mm分描き足して延長。
▽新装版の『来たるべき』を作るための作業だったから。製本するとき足して描いた3mmは(無情にも)裁ち落とされる。

▽この無反射アクリル?(ガラス)、ええな。
▽グラヴィア印刷。パリで出会って意気投合したカトリーヌ&ジャック・ピノー氏が30年間大切に保存してあったもの。それを近美が購入。

▽当時のアシさんたちやまわりの人にも配ったらしいけど、それは全部消失。
▽2002年に自室に入ったときにタバコで黄ばんだ(&劣化した)これがボードに貼り付けられて鴨居の上に飾ってあった。多分あれが本物の1枚。あれはどうしたんだろうか。
ピノーさんたちは初見でナカヒラさんを、すごいアーティストだ、と疑わずずっと丁寧に保管していた。
▽『なぜ植』の表紙。

▽パリ。Sがところどころに映っている。Sが撮った写真も。
▽74年。氾濫。反体制なのになぜ近美の展覧会に参加しているのか問題。
▽ゲーターボードとかミュージアムボードではなくハレパネに貼るんだよ。額装を拒否するのは、だって美術じゃないから、という身振り。
▽氾濫……モダンプリントのほうが全然いいな。鮮明で力を感じる。退色っていうより解像度が違うようにも見える。
▽「町よ!」 なにか普通。こんな取材写真みたいなのもできるんじゃんっていう。
▽西医学。呼んでいる。なにかもう兆しがある。

▽倒れてからの何年間は、『新たなる』と『アデュー』はオオシマさんと河出のアベさんの功績が。
▽なんだかわからない状態になってる作家と対話できない中で対話を続けて写真集化した(社会生活に呼び戻した)っていうのはもっと褒めていい。
▽宮良康正さんとずっと間違えられていた島の人。

▽キリカエ。
▽大阪で写真展示するのが決まって、すでにある写真を90x60にプリントしてまず展示した。
▽でもやっぱり大阪で撮らないとねってことで3.11直後の大阪に通って撮影して、それを4切にして都度貼っていった。
▽だから「本当の」キリカエはそっちの4切の方でこの90x60のパネルは……まあ。しかしかっこいいね、この写真は。
▽都度貼りっていうのは、横浜でやって、その後のシュウゴアーツとかでもやった。
▽横美の展覧会の時、大きく引き伸ばしたプリントを見て「これは昔のものだ」ってナカヒラさんが主張して新しいものを展示したいってずっといい続けてたから、横美のアマノさんが「じゃあここに壁を立てよう」って仮説壁を作って都度貼ることになった。英断。
▽その土地に行って撮ろうっていうのも、ナカヒラさんずっと言ってた。八戸、大阪、沖縄で実現した。埼玉(引込線)にも呼ばれて行ったけど、撮れなかった。
▽八戸のは八戸で撮影したやつが展示されている。イカノフのスタッフさんとトシマさんにはお世話になった。ホテルに泊まったり、トシマさんのご自宅に泊まらせてもらったりした。
▽カワヨ牧場ってところで馬だがロバだかの説明文に「おとなしい」って書いてあったのを見てすかさず「おとなしいんだって」って柵を飛び越えて馬に近づいていった。この蕪島での「行状」とあまり変わらん。
▽「倒れて以降はメディアとか論客とかっていう部分を抜きにして写真家ナカヒラタクマっていう感じ。ナカヒラタクマっていう人生のフィナーレって感じで泣けてくる」(意訳)みたいなことを最後の部屋で話している人がいてそれが耳に入り、ワシの「ナカヒラさん、ナカヒラさん!」って叫んでる声と重なって涙出た。

▽とりあえずカタログが昨日(!)発売されていたので買って帰る。
▽今日は街に外つ国の方々が多い。多分桜の時期に合わせて来たのかもしれないが、全然咲いていないのだった。まあ、こういうこともある。
▽最近キッカーは大澤なんだね。
▽蓮輪真琴89分!!! 諦めずに、よーがんばった。
▽神田の富士そばで春菊天そばを食べる。神田まで出てるんだったらまつやに行けばいいじゃんと思うが、この前、上野の薮がインバウンドの人々で混み混みで入れなかった(だからアキバの新田毎に行った)ので、多分混んでるんじゃないのって。