βθ

うさぎと暮らす野鳥好き

nasu00012006-10-29

1030
ニンジン。

左足の裏がつっているが、まあ、ぼちぼち。

1810
新宿に。小原さんと倉石さんと北島さんのトークショウへ。「中平卓馬再読」。超走書き。以下敬称略。私が携帯で走り書きした適当メモなので「そんなことは言ってない」ということも当然ありうる。

1.ブレとボケ
アレブレボケなどと一緒にしていわれるが、アレとブレとボケはわけなければならない。ブレ、ボケ、傾き、トリミング、アレ、ヤキコミ、ヤキトバシ、ノーファインダー等、手法としては7〜8つぐらいにわけられる。大まかに言えばカメラの機械的要素と暗室的操作はわけて考えたい。当時、暗室的操作だけでああいうイメージを作るのが主流で、カメラの操作もしているのは中平たちだけだったように思う(北島)
中平はブレボケは人間的主観。イメージが統一する前の映像、と考えていた(倉石)
失敗を認める。失敗が正しい。なぜか。機械がやったから。機械性に対する批判がなかった(北島)
「プロヴォークは、肉声(パロール)を獲得する試みであった」(中平)
機械と結託しながら中央突破をはかろうとした(倉石)

2.記録と芸術
中平のクラインに対する奇妙な読み解き(倉石)
「記録は抵抗とどこか一点つながるはずである」(中平)
中平が肯定する「記録」とは何か(倉石)
写真100年→記録。匿名性→記録という幻影。中平が「記録」というときの意味。

3.国境
岡本太郎東松照明→目に見えないものは写らない。それに対して「沖縄においては全てが可視的だ」(中平)
自分がコザで撮った写真を興味本意で撮った写真だ、と中平に言われ反発を感じた。彼は沖縄で写真を撮らなかった。運動とかやってて。で、もっと南にいってエバンズをやるわけですよね。写真を撮らないで肉眼レフっていうのは簡単過ぎる、と思った。信用できない感じ。肉眼レフでいいのかよ。オカモトケイトク、タカラベンなど、そういう人がいないところでバシャバシャ撮る。中平の方法に反発を感じていた(北島)
肉眼レフ。
アサヒカメラ派→オオサキノリオ、シノヤマキシン、キタイカズオ。
ワークショップ派→アラキ、フカセ、トウマツ。
私はワークショップ派だったので(北島)
中平はどちらともなかがよかった。『ジャーナル』と仕事をしていた。

つなげてしまった東松とは違い、沖縄は中平には他者として現れた(小原)
自我が世界に侵蝕されていく。視覚異常。事物への視線。近代的主体批判(倉石)
「来るのわかってたよ」タカラ父(小原)

4.現在
自己対照化してるんじゃないか、と最初は思った。違うとわかったときに結構過激なんじゃと思った(北島)
図鑑とはゆるぎないリファレンスとイメージによりなる。中平の近作は指示代名詞とイメージによる図鑑(倉石)
一般化できない図鑑(小原)
基地を撮らなかったのは、わからないんですよね。中平さんと付き合っていてわからないことが、と・て・も……。カメラはわかならくても回せる(小原)
古代は簡単。中平は可視的な問題、近代の問題にとどまる。(小原)
中平の写真を鑑賞しようとするこちらのショサもとわれている(北島) 

2018
2丁目の真ん中を通って帰る。しかし質問者の「この写真ってすごいの?」って人に聞くっていう行為がもうほんとにダメダメだと。そんなことは自分がきめれ。

2230
帰りにFLOとかいうエウレカちっくな名前のケーキ屋で、直径4寸ほどのモンブランを買って帰る。

2230
ニンジン。日常業務。