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うさぎと暮らす野鳥好き

nasu00012010-04-25

▽せせせはニンジン、ミント、ラキサトンをもらった。
▽おととい注文したマイクロウェーブが来た。ウチでは珍しくサニョの製品。イッツ ア サニョ。
▽めも→テヅルモヅル
▽つーことで、「多良間ゆんた」の話。八重山古謡を眺めるの3回目。
多良間といっても宮古と石垣の間にある多良間島の話ではなく、野底の隣にある多良間村の歌らしい。いやいや、上記間違いで、多良間島のようですね。多良間島はその昔、タラマ/ヨナグニ交換条約によって、八重山領から宮古領に移された。
歌詞の中で謎なのは、烏賊の……まちがい、以下のところ。

蛸の手(てぃー)ぬ 八(や)ぬ手(てぃ)までぃ 待ちみょうり
烏賊の手ぬ 十ゆ手までぃ 待ちみょうり
後(あとぅ)やらし 私達(ばが)二人(ふたーるぃ) 夫婦(みゆとぅ)どう
 
八重山ゆんた集』(1970、浦原啓作)

訳すと、蛸の手が八つになるまで待ってください。
烏賊の手が十になるまで待ってください。
その後、夫婦になりましょう。
ということになるだろうか。蛸の手が八つ、烏賊の手が十になるまで……? ここに至るまでの話は、同じく『八重山ゆんた集』の「大意」を引き写すが、烏賊の……まちがい、以下の通り。

多良間島の美女にぞっこん惚れこんだ同村の若者が、逢いたさ見たさにある夜彼女の家をのぞくと、すでに夫があって添寝をしていた。若者が絶望落胆して泣いているので、彼女は用便にかこつけて外に出た。事情がわかると、「それほどまでに思ってくださるならたこの手が八つになるまで、いかの手が十になるまでお待ちください。その時夫婦になりましょう」という。」

この本には「解説」としてさらに続けて、「このユンタでは、男の誘惑を女の奇才で体よくことわるのである。しかし作者はたこやいかの足が八本や十本になるのは不可能としているが、たこの足は八本、いかの足は十本であるので、その点は認識不足であった」とあるのだが、そ・れ・は・どうだろうー?? 啓作は女心というものがまったくわかっていない、という気がしてならない。
夫が隣で寝ているのを捨て置いて、美女が若者のところにやってきたというシチュエーション下の台詞なのだ。万一、夫に聞かれていても言い逃れができるようカムフラージュして実はOKの返事をしているのではないだろうか。つまり、蛸の足はすでに8本あるし、烏賊の足はすでに10本あるわけだから、「待ちみょうり」といっても実は待たなくてもいい、つまり「今すぐあなたを受け入れますよ」という返事だと思う。だいたい八重山に「たこの足は八本、いかの足は十本であるので、その点は認識不足であった」というような人はいないんじゃないだろうか。まったく女心のわからぬやつだ、啓作は。こういう朴念仁性を発揮して、人生いろいろ損をしたに違いないな。
▽とかなんとか、言っていたら、烏賊のような……もういいって?……以下のような文章を発見した。ここでは、

蛸(たく)が手(てぃー)ぬ
やーてぃゆ なり
待(ま)ちょうり
  蛸の手のように
  八年たっても
  待って下さい
烏賊(いか)ぬ手(てぃー)ぬ
とぅてぃゆ なり
待(ま)ちょうり
  烏賊の手のように
  十年たっても
  待って下さい
と、蛸の八本の手と烏賊の十本の手が、男の本心を試すための年数に喩えられている。
 
山里純一「八重山歌謡に見える動物」(2008、70-71ページ)
http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/123456789/5789/1/No14p029.pdf

とあって、ここには8年、10年という年数なのだという説が説かれている。どうなんだろうなあ、それは。でも意味的には浦原啓作の「認識不足」説より全然飲み込みやすいけれど。
三線の練習へ。「鷲ぬ鳥」「鶴亀」「矼ゆば」「目出度い」「鳩間」「鳩間早弾き」「でんさ」「かたみ」「つんだら」「くばやまくいつ」「繁盛」「とぅまたまつ」。二揚げにして「古見ぬ浦」「安里屋」「夜雨」「千鳥」。新しく「小浜」「大浦くいつ」
▽せせせにカラスノエンドウ、ニンジンを与える。日常業務。今日は復活! 暴君せしせしって感じだった。3月うさぎってやつか。
▽ウチのなかから未だにカニのにおいが追い出せない。うーむ。