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うさぎと暮らす野鳥好き

nasu00012013-07-12

▽せせせはニンジン、固形飼料をもらった。
▽晴れて暑い。
▽子規『病牀六尺』

この双眼写真を得てから、それを見舞に来る人ごとに見せて試みたが、眼力の確かな人には早く見えて、眼力の弱い人即ち近眼の人には、よほど見えにくいといふことがわかつた。これによつて余は悟る所があつたが、近眼の人はどうかすると物のさとりのわるいことがある、いはば常識に欠けて居るといふやうなことがある。その原因を何であるとも気がつかずに居たが、それは近眼であるためであつた。近眼の人は遠方が見えぬこと、すべての物が明瞭に見えぬこと、これだけでも普通の健全なる眼を持つて居る人に比すると既に半分の知識を失ふて居る。まして近眼者は物を見ることを五月蠅がるやうな傾向が生じて来ては、どうしても知識を得る機会が少くなる。近眼の人にして普通の人と同じやうに知識を持つて居る人もないではないが、さういふ人は非常な苦心と労力を以て、その知識を得るのであるから、同じ学問をしても人よりは二倍三倍の骨折りをして居るのである。人間の知識の八、九分は皆視官から得るのであると思ふと眼の悪い人はよほど不幸な人である。

▽要約すると「目が悪いやつは頭が悪い」。
▽逆に「頭が悪いから、精神が近眼になって、身体が近眼になった」ってことはないのか。
▽今日の脳内再生「モスラの歌」。とんじゅーかんらーかさっくやーんむ。
▽今日の仮説。メール書くの時間かかりますよね。って、まあ、多分英語圏でもそうだと思うんだけど(非能率的だから社内メールを禁止するみたいなニュースの最初はアメリカだった気がする)、でももしかすると日本よりは時間がずっとかからないんじゃないだろうか。というのは、日本語の喋り言葉と書き言葉って違うから一回書き言葉に変換しないといかんでしょ、英語圏にはこの変換作業がナッシング、という仮説。
▽記憶のシステムが違うという話。「玄関にある靴を思い浮かべよ」と言われると、日本人は写真的なもしくはムービー的なイメージが脳内に浮かぶよね。その中で靴箱あけてみたり。でも西洋人はそこのところを言語で記憶しているのだ、ということを昔どこかで読んで、それが本当かどうかアメリカ人に会う度に聞こうと思うのだが、いっつも忘れてしまう。
▽写真集についている解説的な文章に、西洋人の筆者は「芝生の上に在るサンダル」「廃屋の前に乗り捨てられたトラック」「なんとかかんとか」「どーとかこーとか」とか写真に写っているものを言葉で詳述した文章を羅列する傾向はあって、もしかすると前述の記憶の形と関連することなのかもしれない。
▽せせせはニンジンをもらった。日常業務。