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うさぎと暮らす野鳥好き

nasu00012013-04-11

▽せせせにニンジン、レタスを与える。
▽晴れ。気温が下がり傾向かな。風力は弱いが結構冷たい。
▽パーツあるいはフラグメンテイション。世界をできるだけ細かいパーツとして分解すること。それぞれがそれぞれに関係なくバラバラに存在し、かつそれぞれ関係なくバラバラに動くパーツであることを認識すること。
ガラガラポンなんて言葉、初めて聞いた。
▽「棚におやつ」という違和感は確かにあった。というのは、昭和的イメージ、それはたとえば「サザエさん」でもいいけれど、カツオが帰ってくるとサザエが「おやつが棚に入ってる」とかいうのだ。ウチではおやつを棚に入れるという習慣がまったくなかった(というかおやつをいれるような棚自体存在しなかった)ので、それがなにかすごく昔の違う文化のことを描いているように感じた。しかし「棚におやつ」というシチュエーションは「サザエさん」だけではなく、わりと何度もみたので、みるたびに、むしろ普遍は向こう側にあるような、逆にこちら側がゆらぐような変な感じを受けていた。
▽にわか雨。
▽横断歩道を大股で渡りながらコンビニの500ml紙パック牛乳をあおり飲む(若い頃の)ジャン・ギャバンのような西洋人の男。
▽「10歩で罰金2千円? 「歩きスマホ規制条例」を提案」。

〈10歩以上画面を注視して歩いたら科料2000円〉
〈歩きスマホで人にぶつかったら3000円とか、イヤホンをしてゲームに夢中になっている“悪質”なケースは5000円など〉

(引用元の記事を読めないので、元の文脈はわからないがここだけ読むと)世の中には莫迦なヒトがいるんだな、という印象。法律ができればできるほど社会がよくなるなんてこの人はホントに思っているんだろうか。これは罰金、これも罰金、なんとかかんとか全部罰金って、そんな世の中を誰が欲しているのか。少なくともワシはそんな「衛生的」社会には決して住みたくない。歩き煙草だってワシは嫌いで迷惑なものだと思ってるけど、法律で禁止するのは反対だ。危なく嫌いなモノを簡単に排除するということで失われることがある、と思っている。

首都圏を中心とした鉄道事業者の集計によれば、2011年度に関東地方で駅のホームから転落したのは3243人。うち18人は携帯電話を使っていた。巻き込まれて命を落とすことも考えれば、立派な「歩く凶器」だ。

携帯電話の半分がスマートフォンだとして、9人=0.2パーセント。残りの3225人は違うことで落ちている。つーか、プラットホームはホームドアを作れば誰も落ちなくなる(+自殺者も思いとどまらせることができる)んで、問題がまったく別のところにある。関東だけで年間3243人も落ちているのに、ホームドア建設をいっこうに進めない鉄道事業者にはなんの問題もなくて、自分が携帯使ってて自分が落ちた9人の方が「歩く凶器」なのか? このヒト、脳が0.2パーセントぐらいしか働いてないのと違うか。説得力ゼロの文章。
▽昨日のモノの権利ってことに関して。網野義彦の本を読んでいると、中世あたりではモノの所有権が完全に移動するってことはなかった的なことが書いてある。箪笥などを「買って」も、10年後には効力が切れて箪笥を元の家に戻さなくてはいけない。それって現代人からすると「買って」るんじゃないような気がするが、言葉としては(というか当時の認識としても)まあ、「売り買い」ということなわけ。でも今の感覚でいえば、これって借りてるっていうか、使用権を買ったライセンスに結構近い。つまり、所有権を売り買いすることより、ライセンス商売の方が古くからある伝統的な作法だともいえるのだ。そしてそれを「売り買い」と捉えることも。
▽せせせはニンジン、レタスをもらった。日常業務。
■『鈴木先生』読了。いやいやおもしろかったデス。小川さんの見せ場は最後にちゃんと設定されていて、「いかし過ぎだぜ!」と思った。